【スタッフ犬紹介】保護犬を迎えるということ

【スタッフ犬紹介】保護犬を迎えるということ

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こんにちは! バイヤーチームの南雲です。「ペットとの暮らしを素敵に楽しく」するためのグッズを皆さまへお届けするバイヤーを担当しています。幼い頃から犬猫がいることが当たり前の生活をしてきましたが、保護犬「はな」との出会いが私の人生を大きく変えてくれました。今回は、そんな「はな」との出会いまでの経緯やその時の葛藤、迎えてからの問題や日々の暮らしについて書きたいと思います。

保護犬「はな」を迎えるまでの葛藤、出会い、日々

きっかけは、新居への引っ越しでした。といっても、その時点ではまだ動物と暮らすことは決まっていませんでした。家族と相談もしていないし、私自身、まだ動物と暮らすことの覚悟ができていませんでした。

「はな」が我が家へくる3年ほど前に、20歳の猫を見送りました。私の人生において、20年という一番長い時間を共に過ごした猫でした。タロという名前で、みんなに愛され、いつも一緒にいてくれました。

お手をするタロ
私の手のひらに前脚を乗せる「タロ」

タロの最後の1年は、毎日、朝晩、自宅で補液という皮下点滴をして、レンタル酸素ボックスも設置して看病しましたが、見送ったあともずっと「本当にこれで良かったのか」「もっとしてあげられることがあったのではないか」と自問自答をする毎日で、「わたしの元へ来なければ、もっともっと幸せで、もうちょっとだけでも長生きできたのではないか」「わたしにはもう動物と暮らす資格はない」とさえ思っていた時期もありました。
それは、1年たっても2年たっても、変わることはありませんでした。

一方で、「保護犬」「保護猫」という言葉を見聞きすることが増え、里親募集サイトを見ては「もし、いつか私がまた動物と暮らせることになったとしたら、絶対に里親になろう」とも思っていました。

タロを亡くしてから約3年がたちました。その頃、人生で唯一と言って良いほど動物のいない生活を送っていた私は、引っ越しが決まったことをきっかけに動物と暮らしたい気持ちがどんどん高まっていくのを感じました。

それでもまだ、自問自答していたことへの答えが出たわけでもなく、ただ動物と暮らしたいという私の身勝手な願望と、行き場のない動物を救いたい気持ちと、私にそれができるのか、しても良いのかという不安が入り混じった状態でした。


そんな状態でしたが、日課となっていた里親募集サイトを見る日々は変わらず、いやむしろ以前より真剣に見るようになっていたと思います。

そうしているうちに、「選んでいる」ことに気づきました。
動物と暮らすには、自分の生活スタイルに合った子を探すことはとても大切なことです。
例えばお留守番が多い家庭だと手のかかる子犬は難しいですし、小型犬大型犬では運動量も住居環境もかなり違います。

でも、わたしの「選ぶ」はそうではありませんでした。

大型犬が好き、レトリーバーのような優しい顔が好き、別れが辛いから若い成犬が良い......などまるでお気に入りのアクセサリーを探しているような感覚だったのかもしれません。
そのことに気づき、愕然とし、もう一度冷静に考えてから仕切り直そうと思った時に目に入ったのが「はな」でした。全く想定外の引き込まれ感でした。どこがと聞かれても答えられないような感覚でした。

里親サイトに載っている「はな」
里親募集サイトに載っていた「はな」の写真

それでもすぐにはアクションは起こさず、自分の生活スタイルと譲渡条件、「はな」の情報をサイト上で何度も確認し、どうしても気になり「はな」のことばかり考えてしまう日が数日続きました。

正直、早くしないと他の人のところへいってしまうという焦りもありましたが、そうなったらそれはその方が「はな」が幸せになることなんだと自分に言い聞かせ、焦らずに家族と相談を重ねてから問い合わせをしました。

保護団体の代表から、その日のうちに連絡をいただき「良かったら譲渡会へ来ませんか?」と仰ってくださいました。

そして待ちに待った譲渡会当日、一刻も早く会いたい気持ちと、嫌われたらどうしよう、という気持ちを抱えながら、会いに行きました。それが、わたしと「はな」との直接の出会いでした。

その時「はな」は、生後約8カ月でした。

譲渡会会場では元気に走り回り、ほかのワンちゃんたちへちょっかいをだしたりスタッフさんへ甘えたりと写真を撮ることもできないほどちょこちょこと動き回っていました。
その姿を見て「可愛い〜!」と言っている人もたくさんいたようですが、身体のことを知ると、譲渡へは繋がらなかったそうです。

「はな」は生まれつき関節奇形で両前脚が曲がっているという理由でパピーミルから放棄され、保護団体へ引き取られました。保護された当時は、4本足で立つことも難しかったと伺いました。

そして、何度も何度も、小さい体で手術を乗り越え、やっと、4本足で立ち、歩き、走れるようになりました。

「はな」の曲がった脚は完全には真っ直ぐにはならないので、常に少しお尻が上がった状態になります。坂田利夫さんのギャグのように、前脚を左右に回すようにしながら歩きます。
私にはその姿が可愛くて愛しくてたまらなかった。とてつもなく可愛い「はな」の個性だと思いました。

それから「はな」を迎える準備を進め、引っ越しをした翌日には片付けも放置して「はな」を迎えに行きました。


そうして「はな」との暮らしが始まりました。 女の子なのに、とってもやんちゃだった「はな」はソファからジャンプして骨折したらしく、我が家へきた時にはアメリカンドッグのようにギプスを巻かれた状態でした。

ギプスを巻かれたはな

獣医師の指示により、ギプスが取れるまではケージで過ごさせましたが、1日目こそしおらしくしていたものの2日目からは徐々にその本性を見せはじめ、日に日に元気に、そして少しずつ私や家族に慣れていってくれました。

初めて私の膝の上で寝てくれたときの感動は今でも忘れることができないくらい嬉しい瞬間でした。


パピーミルからの飼育放棄、ボランティアの保護犬預かりさん宅、病院での入院生活を経て本当の意味で初めての家庭犬となった「はな」ですが、社会化が不十分だったことでやはり最初は大変な面もありました。

自分の家という認識ができてからは、来訪者へは容赦なく吠えかかり、テレビに映る子どもや大きな男性も「はな」にとっては敵なのです。さらにはお散歩へ行っても怖くて歩けず、食糞もありました。

どうしたもんかと悩んでいる時に教えてもらったドッグビヘイビアの先生を頼りにトレーニングをしてもらいました。
とにかく楽しく、嬉しく、遊んでいるうちにトレーニングもできているというのが「はな」には合っていたようで、パピーミルからの保護犬とは思えないような早さで改善・成長していると先生に仰っていただけるまでになりました。

そうして「はな」が我が家の一員となってから、約4カ月がたとうとしていました。
その時のことがきっかけで、私の人生は大きく変わったのです。


なんとなく、元気がなさそうだなと思う日が3日ほど続いたある日、突然、発作を起こしました。外にはまだ雪が残る寒い日でした。
はな横顔
眠そうな「はな」

今までに聞いたこともないような、高く、大きな声で2回、長く鳴き、全身はピーンと突っ張り、バタバタとまるで釣り上げられた直後の魚のように痙攣をしました。時間にして数秒から十数秒くらいだったと思いますが、20歳で亡くなった愛猫タロと同じような発作を今目の前で起こしている「はな」を、私はただ声をかけ、見ていることしかできませんでした。

その後、MRI検査をして「壊死性髄膜脳炎」と診断されました。通称パグ脳炎とも呼ばれており、ものすごく簡単に言うと、少しずつ脳が壊れていく病気です。そして、治ることはありません。数日で死に至る子もいれば、数年先まで生きられる子もいます。その違いは個体差。つまりその子次第ということになります。
その重すぎる病名を突きつけられた私たち家族は、静かに歯を食いしばりました。

どうして「はな」が......
こんなに頑張って生きてきたのに

考えても考えても納得できる答えなんてありません。でも、泣いてもしょうがない。
今まだ「はな」は頑張って生きているのだから、薬が効いて数年先......できればそれ以上に、長く、楽しく、快適に過ごせるように、できることは全てしよう。
「はな」を迎える時にした覚悟を思い出し、気持ちを切り替えました。

ソファからのぞくはな
ソファからこちらをのぞく「はな」

そして、病気のこと、治療方法、薬の効果、同じ病気のほかのワンちゃんの様子などを調べていくと同時に、自分自身の今後についても考えるようになりました。

正直、その頃の私は職場が遠く、仕事のある平日は「はな」と過ごす時間が限られていることに、里親となった責任を果たせていないのではないかと悩んでいました。もちろん、治療費もかかりますので、仕事を失うわけにはいきません。

そんな中、巡り合ったのがシロップでした。 「はな」の病気のことも理解し、私がちゃんと世話ができるように調整してくれました。
幸い、薬との相性が良かったのかあれから発作を起こすこともなく、朝晩の服薬のみで元気に過ごせています。
平日は私と一緒にオフィスへ出社して、社員犬としてみんなに可愛がってもらっています。

デスクで寝るはな
オフィスのデスク上で寝る「はな」

病気を発症してから、こんな毎日を過ごせるとは思ってもいませんでした。
「はな」に関わる全ての人に感謝して、これからも色んな景色を一緒に見たいですし、楽しいことをたくさんしたいと思います。

保護犬には、障害や病気のある子が多いから......と敬遠される方もいます。
実際、少なくはないと思います。でも、血統証付の犬だって病気にならないとはいえないですし、保護犬だって「はな」のように天真爛漫に成長してくれる犬もいます。

私は、「はな」と出会えて本当に幸せです。

テントから顔をだすはな

歴代のワンニャンたちを紹介します!

以前、スタッフ紹介の記事を出させていただいた際に歴代のワンニャンについては別記事で......と書いていましたので、ここで紹介させていただきます!
これまで、トータルで犬3匹、猫8匹と暮らしてきました。それぞれ時期や過ごした時間は違うけれど、どの子とも思い出があり、私にとってかけがえのない存在です。

まずは白猫の「シロ」。
白猫のシロ
保護した当時のシロ

おそらく私が3〜4歳の頃だと思います。いわゆる「ちびまる子ちゃんととも蔵じいさん」のような関係だった私と祖父でタッグを組み、「可愛い子猫がいるから飼ってもいい?いい?子猫だから死んじゃうよ(><)」と母親の職場にまで電話をして無事、初代うちの猫になった子猫のシロちゃんです。どう見ても大人猫ですね。野良猫とは思えないほど優しく頭の良い子でした。

当時は家と外を自由に行き来するのが普通でしたので、シロも眠くなったら帰ってきて、お腹がいっぱいになったら遊びに行くという生活をしていました。

ある日、私の夢に出てきたシロ。私が呼ぶと一度だけ振り返り、そのまま歩いて行ってしまいました。
子どもながらに「シロはもう帰ってこないんだ」と察して母親へその話をすると、兄も同じタイミングでシロの夢を見たと言っていたそうです。その夢を見た日から、シロが帰ってくることはありませんでした。

その後は、兄が拾ってきた白茶猫の「ターボ」と、ダンボールに入れて捨てられていた三毛猫の「花子」。この2匹はとても仲が良く、いつも一緒にいました。
花子は脚が悪く、疲れてしまったり狭い場所に入ると出てこれなくなってしまったりしていましたが、そんな時はターボが私を呼びにきて、花子のところへ連れて行くのです。2匹の絆にも、ターボの優しさにも学ぶことが多かったように思います。
三毛猫の「花子」
三毛猫の「花子」

初めて猫種名の付いた猫「リー」と「ミー」が我が家へきました。
チンチラという長毛種でした。叔母が友人から「猫が子どもを産んだので貰ってくれないか」とお願いされ、我が家へ迎えました。
甘え上手で人懐っこいリーちゃんは、どこにいても「おいで」と言って肩を出すとちょこんと乗ってきて、お風呂が大好きな子でした。
トトロに怒るリーちゃん
トトロに怒る小さなリーちゃん

人見知りで他の猫にも遠慮して、誰もいない時だけゴロゴロ喉をならしながら甘えてくるミーちゃんは、まるで人間のような猫でした。
椅子の下に隠れているつもりの小さなミーちゃん
椅子の下に隠れているつもりの小さなミーちゃん

続いて、キジトラミックスの「タロ」とチンチラミックスの「マロ」。
この2匹ほど似ていない兄妹はいないと思いますが、れっきとした兄妹なのです。母親は、上で紹介したチンチラのリーちゃんです。
タロは冒頭でお話した通りで、マロは成長しても小さく、おばあちゃんのことが大好きな猫でした。いつもおばあちゃんの肩に乗って甘えていました。
頭の大きい「タロ」と小さな「マロ」
頭の大きい「タロ」と小さな「マロ」

最後はサビ猫の「ティア」。
大雨の日の夜、雨の音に混じって子猫の鳴き声がかすかに聞こえました。外へ出て探すも大粒の雨と夜の暗さでなかなか見つからず、ようやく見つけた時にその小ささに驚きました。生後数日ほどだったと思います。母猫を探しましたが見当たらず、とにかく生かしてあげたいと保護して暖めましたが助けられませんでした。ティアと過ごした時間は数日間でしたが、一生忘れられません。

そして、ここからはワンコです。
まずはビーグルの「ベル」と雑種の「さくら」。
写真がなくお見せできず残念ですが、とっても可愛い子たちでした。この2匹は、同じ日に迎えました。
当時住んでいた市で大きなお祭りがあり、そのイベントの一環として保護犬の譲渡会が開催されていました。その頃は「保護犬」という言葉があったのかすら覚えていませんが、今のように生活スタイルなどを考えて譲渡する習慣もなく、犬を迎えたい人たちで抽選をして、当選した子を迎えるという流れでした。そうして我が家に来たのがベルです。やんちゃでイタズラばっかりして、見ているだけで笑顔にさせてくれる犬でした。
さくらは、同じイベントで祖父が「一番貰い手のない子を」とお願いして迎えました。とっても優しく、おじいちゃんのことが大好きな犬でした。

そして、「モモ」。
モモが我が家へきたのは、いつかの大晦日でした。玄関の横に外飼いしていたベルとさくらが地面に穴を掘り、どこからか迷い込んだモモをかくまっていたのです。
小さくて白くてモコモコのモモは、どういう経緯で我が家へ辿り着いたのか未だに分かっていませんが、怖がりで、慎重派で、人が大好きな可愛い犬でした。
秋になると自宅の2階の窓を開け、金木犀の香りをかぎながら友人と電話をするのが当時の私の日課だったのですが、暗闇の中に動く白い何かを見つけると首輪が外れて自由になったモモということが数回ありハラハラしました。が、怖がりのモモは絶対に敷地から出なかったので事故もなく無事で良かったです。
モモ
小さかった頃の「モモ」

今回、このような記事を書かせていただくことがなければ、振り返ることもできずに自分の中に留めていたと思います。
もう会えない最愛の犬猫たちを大切に思いながら、今ある「はな」という命を預かっているということに責任を持ち、楽しく明るく過ごしたいと改めて思いました。