親日の国トルコで見た犬猫たち 経済発展と都市化の波の中で揺れるペット事情
はじめまして。三菱UFJリサーチ&コンサルティングの橋本和子です。普段のお仕事は、シンクタンクの研究員ですが、国内・国外問わず放浪するのが趣味の人間でございます。放浪するためだけに仕事をしているといっても過言でなく、旅先で出会う犬猫ウォッチは欠かせません。そこで今回は、トルコの「犬猫事情」を紹介できればと思います。
トルコは、クーデター騒動などで世間を騒がせたことが皆さんの記憶に新しいところでしょう。アジアとヨーロッパに位置し、イスラム教徒が多く、地中海と黒海に面した多様な国で、また親日国でもあります。私は1996年と2001年にトルコに長期滞在し、そしてときおり往還しながら、変化を肌で感じてきました。
トルコの神話には狼が出てくるなど、イスラムの教義に関係なく、動物の存在は古くから身近でしたし、もともと農業国だったため農家では使役犬として犬を飼い、羊の番をさせていました。
イスラム圏では犬は穢れた生き物?
多くの東南アジア・中東・アフリカにまたがるイスラム圏において犬は不浄の生き物とされ、「犬の唾液はけがれている」と考えて犬を嫌うイスラム教徒が少なくありません。イスラム教徒の多いトルコでも犬が虐げられているかといえば、必ずしもそういうわけではありません。トルコの神話には狼が出てくるなど、イスラムの教義に関係なく、動物の存在は古くから身近でしたし、もともと農業国だったため農家では使役犬として犬を飼い、羊の番をさせていました。
犬や猫に対するトルコ人のまなざし
実際にトルコの街角には、野良犬・野良猫が多く、観光地のカフェの隅っこや通りの角でのんびりとくつろぐ犬や猫が見られます。地中海沿岸の町では、海沿いのカフェでバカンスを楽しむ旅行者の足元で、犬がパラソルの陰で涼みながら何匹もくつろいで寝ています。街の商店街では、店主の代わりに店番をする猫がいたり、花屋の苗と苗の隙間で猫が番をしていたりします。トルコの犬や猫は日常に溶け込んでいて、とてものびのびしているように見えます。
左:カフェの日陰でまどろむ犬(地中海沿いの街、ボドルムにて)
右:土産物屋で店番をする看板猫(地中海沿いの街、マルマリスにて)
一方で動物好きの人と、そうでない人の間には溝があり、観光地より住宅街でそうした問題がより顕著です。トルコでは都市化が進み、都市部に住む人はほとんどマンション暮らしです。そして、マンションの住人の中には必ずと言っていいほど犬好き・猫好きの人がいて、野良犬・野良猫に水をやり、餌を与えるなどの世話をしています。
一方、トルコ人はとても綺麗好きな人たちです。彼らの家はピカピカで、いつ何時でも、客人をもてなせるよう、常に整理整頓・清潔にしています。それだけ綺麗好きが美徳とされる社会で、宗教的な理由よりはむしろ日々の衛生面の理由で、動物を嫌う人や恐れる人も多く、動物好きと動物嫌いの人の意識には大きな隔たりがあります。私は1990年代に猫好きなホストマザーの元で暮らしていましたが、彼女は周辺住民からの犬猫の餌やりに対するクレームに頭を悩ませていました。
生活水準の向上とともに高まるペットへのケアへの関心
高度成長期の日本同様に、かつてのトルコでは、犬猫に餌として残飯を与え、近所に放し飼いするのは当たり前でした。1990年代のペットフードは高価ではあったため、気楽に購入できるものではありませんでした。スーパーのペットフード売り場のスペースもまだ小さかったことを記憶しています。私のホストマザーはよく、市場で肉屋から食用に適さない内臓部分(肺など)を買ってきて煮て餌にしていました。トルコは2000年以降、目覚ましい経済成長を遂げ、トルコ人の購買力が上がり、日本より少し遅れる形でペットフードが普及するとともに、ペットの室内飼いも定着しつつあります。ホストマザーも今では、愛娘(愛猫)お気に入りのチキン味のキャットフードを購入しています。まだ放し飼いではありますが。
整備されつつある動物関連法制
私が1990年代半ばに初めてトルコに訪れた時は、野良犬・野良猫の去勢などはほとんど行われていませんでした。近年は、生活水準が向上し、犬や猫を愛玩動物として飼養する人が増えてきました。そして2004年に初めて動物保護法(Hayvanları Koruma Kanunu)5199号が制定されました。背景には、欧州の動物保護の考え方が知られるようになってきたことや、トルコ政府がEU加盟を目指して少しずつ国内法制度をEU法に整合させる取り組みを行ってきたことがあります。
動物保護法では、その目的として「動物が快適な生活を送れるようにすること、良好で適切に取り扱われるようにすること、みだりに痛み、苦しみ、責め苦を与えず可能な限り最善の方法で守られるようにすること、あらゆる動物虐待を防止すること」が掲げられています。この法律は近年さらに改正され、動物虐待などを行った人への罰則が強化されています。
経済成長の陰で増える犬猫の問題
トルコでは2000年代に入り、ゴールデンレトリバーの捨て犬がメディアに取り上げられるようになりました。日本でもバブル期にシベリアンハスキーが一時的に流行し、その後飼育できなくなった飼い主に捨てられて社会問題となったことがありました。トルコでは中流層のステータスシンボルとして飼育されたゴールデンレトリバーが、その後当初の物珍しさが薄れ、ステータス・ドッグではなくなるとともに、大型犬を持て余して山中に捨てる飼い主が増えてきたのです。おそらくこれまでも犬を捨てる人はいたのでしょうが、ゴールデンレトリバーという犬種の野良犬が増えることで、こうした問題が急速に顕在化しました。ゴールデンレトリバーは、人から離れて暮らすことに適した犬ではなく、他の野犬の襲撃や飢えに苦しむことになります。
このように山中で飢えをしのぐおびただしい数の純血種の野良犬が目撃されることで問題が可視化され、国内外のメディアに取り上げられ、徐々にクローズアップされるようになりました(ゴールデンレトリバーは北米で人気の犬種ということで、近年はトルコで捨てられたゴールデンレトリバーを米国に移送し、新たな里親を探すプログラムが実施されています)。
近年、トルコでも、自治体や動物団体によるTNR活動(※)として、不妊去勢やワクチン接種された地域猫・地域犬を見ることも珍しくなくなってきました。TNRの目印として猫の場合は耳の端をカットし、犬には耳にタグをつけます。2010年以前には見ることはほとんどなかったと記憶していますが、現在では比較的よく見かけるようになりました。
※Trap, Neuter and Returnの略で、捕獲して不妊去勢手術をした後に元の場所に戻すこと。
なお、猫の耳カットについて、日本のようなV字の「さくら猫」のようなカットではなく直線的なカットです(文末のアバター君の写真参照)。日本では、「さくら」と言う言葉に、「一代限りの儚い命を大切にしよう」というメッセージが込められていますが、トルコ人には全く通じませんでした。むしろ見た目の問題として、V字は直線よりも切断面が大きいため、「痛そう。ちゃんと麻酔は効いているのだろうか」と心配していました。
このように紆余曲折はあるのですが、トルコの人々と動物の共生は、経済発展と都市化の波の中で、刻々と変化しています。
おまけ:トルコの猫たち
最後にトルコの私の(ホストマザーの)猫たちを紹介します。飼い猫のブジュルック嬢(メス)、と半野良のアバター君(オス)です。ブジュルック嬢(メス・去勢済み、イスタンブール出身)
ブジュルック嬢は年金暮らしのホストマザーの一人娘ですが、とにかく気難しい猫で、普段は人も猫も寄せ付けず、ヤキモキさせてくれます。しかし、ごくたまに夜中にすりよってきてくれることがあります。ブジュルック(bıcırık)とは、トルコ語で「小っちゃくてかわいい」というニュアンスの言葉です。
アバター君(オス・去勢済み、マルマリス出身)
アバター君は去勢済みなのですが、何故か片耳ではなく両耳がカットされています。ブジュルック嬢が他の猫を寄せ付けないため、彼は彼女の居宅中には家に入れず、野良の立場に甘んじていました。しかしもともと、とても気立てが良い猫で、気難しいブジュルック嬢を懐柔し、立身出世して昼間だけ居候する半野良となりました。さらに最近では、時おり夜の寝床も与えられるなど居候時間も伸び、「飼い猫」まであと一息です。独特の顔立ちゆえに映画にちなんで「アバター」と名付けられました。