田代島で見た猫のボランティア診療 ドイツの獣医師が猫島に通う理由とは

田代島で見た猫のボランティア診療 ドイツの獣医師が猫島に通う理由とは

Share!

宮城県の沖合に浮かぶ人口50人ほどの小さな島「田代島」。実はこの島、人より猫のほうが多い日本有数の「猫島」として知られています。そして、そんな猫好きが集まる島にドイツから定期的に来日し、猫の診療をしている獣医師がいます。「なぜドイツの獣医師がはるばる田代島に?」「猫の診療って何をしているの?」……気になることばかり。今回、その診療に同行取材しました。そこで見えてきたのは、かわいい猫たちと島の人たちが仲良く暮らす楽園。ではなく、過酷な環境を生きる島猫たちの生と死。安楽死や不妊去勢の問題など、人と猫のシビアな関係の上で成り立っている猫島の姿でした。

東日本の猫島といえば「田代島」

田代島は宮城県石巻市に属し、石巻市街からフェリーで40〜50分ほどの場所にある小さな島です。石巻駅からは15キロほど離れていますが、対岸の牡鹿半島からは数キロの距離にあります。



産業は漁業が中心で、人口は50人ほど。1989年に小学校が廃校し、高齢化が進む一方ですが、近年は「猫島」や「マンガアイランド」(※)として知られるようになり、豊富な海の幸や猫の魅力に惹かれて島に移住して来る若い世代もいます。外国からの観光客もかなり増えたそうです。

※漫画家のちばてつや先生、里中満智子先生、志賀公江先生、木村直己先生、御茶漬海苔先生が猫をモチーフにデザインしたロッジやテントサイトがある宿泊施設「マンガアイランド」に由来します。なお、改修のため2017年6月27日から予約受付を休止しています。

マンガアイランドにいたふさふさの猫
マンガアイランドには、ふっさふさの猫がいました(2015年撮影)

田代島が猫島になった理由

田代島にいる猫は120〜150匹ほど。正確な数は分かりませんが、確かなことは、人の数より猫の数のほうが多いということです。猫が増えた理由を知るためには江戸時代までさかのぼる必要があります。当時の田代島では養蚕(ようさん)業が盛んに行われていました。カイコの天敵はネズミ。そのネズミを獲るために猫が重宝されたのが猫島としての始まりだと言われています。

猫のたまり場「阿部ツ商店」
猫のたまり場「阿部ツ商店」。お店はおばあちゃんの気分で開店するようです

そして明治以降に漁業が盛んになると、猫が大漁を招く縁起の良い存在として扱われるようになり、「猫神様」として猫神社で奉られるようになりました。その後は知る人ぞ知る猫島でしたが、島民がブログで「たれ耳ジャック」という猫を紹介するとインターネットやテレビで話題となり、全国的に知られるようになるのです。

田代島の猫神社
猫神社(港から距離があり、実は名前ほど猫がいません)

田代島への行き方(交通アクセス)

東京から石巻までは新幹線と高速バス(もしくは在来線)で3時間ほど。都内から石巻まで昼夜の高速バスも出ています。石巻駅から、フェリーが出る網地島(あじしま)ラインの発着所まではタクシーで10分ほどです。

網地島ラインの石巻発着所と「石巻」の地名の由来となった伝承が残る「鹿島御児(みこ)神社」
左下が網地島ラインの石巻発着所。右上が「石巻」の地名の由来となった伝承が残る「鹿島御児(みこ)神社」。震災の際に多くの市民がこの山に登り、難を逃れました(2015年撮影)

「猫の医療チーム」誕生

6月某日、始発のフェリーを待つ石巻の発着所で、筆者はドイツから来日している獣医のクレス聖美先生と合流しました。午前9時に出発した高速船は、45分ほどで田代島の仁斗田(にとだ)港に到着。田代島も東日本大震災の被災地で、現在は復興がほぼ終わっていますが、港はいまだ改修工事が続いています。

仁斗田港に巨大な防潮堤が出現
巨大な防潮堤が出現し、「海が見えなくなった」と島の方も困惑気味

着岸直前のフェリーから見えたのは、猫……ではなく港の整備のために運ばれてきたコンクリートミキサー車の大行列。8台ほどでしょうか。普段は軽自動車くらいしか見ないこの島では異様な光景です。

田代島にコンクリートミキサー車が出現

筆者は「島の猫が交通事故に遭うことはないだろう」と思っていたのですが、人に慣れてしまった島猫たちは道路のど真ん中で寝っ転がり「そっちがどけば?」と車が来ても知らんぷり。都会とは違った事情でひかれてしまう猫も珍しくないようです。

道路を占拠する田代島の猫たち
道路に猫の字で横になっています

田代島では人が車から降りて猫様に移動をお願いします
車から降りて猫様に移動をお願いすることもしばしば

先生はほとんどの猫と顔見知り

フェリーを降りると、島民の方に借りた車で移動を始めます。クレス先生はすぐ2カ月ぶりに再会する猫たちを見つけて、「ハチだわ!」「あら、あそこにスリちゃんがいる」「いや、スリちゃんもどきかしら?」とその名前を呼んでいきます。

ちなみに、クレス先生は日本人で、北海道大学獣医学部を卒業後に単身ドイツに渡り、ドイツ人獣医師と結婚。現在はフランクフルト市の近郊ダルムシュタット市の動物病院で副院長をされています。

猫にサンドイッチをねだられるクレス聖美先生
クレス聖美先生

先生が田代島に通うようになったのは東日本大震災のときからなので、もう6年になります。2カ月ごとに訪れているため、島にいるほとんどの猫は顔見知り。親子関係から兄弟ゲンカ(縄張り争い)の歴史まで、島猫のことは何でも知っていると言っても過言ではありません。そして島の人たちも先生を見つけると、「あの子の調子が悪いみたいなんで診てやってください」と声を掛けて来ます。


猫島に魅了されたカメラマン

さて紹介が遅れてしまいましたが、実はクレス先生が田代島で活動する上で欠かせない方がいます。それは、カメラマンの田中良直さんです。田中さんが初めて田代島に訪れたのは10年ほど前。それからずっと田代島の猫たちを撮り続け、2010年には写真集『田代島猫景色』を出版されています。

そして2011年、東日本大震災が起きたことをドイツで知ったクレス先生は、猫好きとして以前から気になっていた田代島で「獣医として何かできることはないか」と考え、田中さんに連絡をとったのです。

そのとき田代島では、漁業を復興させようと有志が集まり募金活動「田代島にゃんこ・ザ・プロジェクト」を始めていました。田中さんがプロジェクトのメンバーにクレス先生のことを伝えると、集まったお金の一部を猫の治療に役立ててもらおうとなり、医療チームが発足。

クレス先生が島を訪れたのは、連絡をしてからわずか3カ月後のことでした。それ以来、クレス先生と田中さんは猫の医療チームとして行動を共にしています。

※クレス先生たちはボランティアで診療されています。診療費は無料で、診療で使う薬品の一部だけ「田代島にゃんこ・ザ・プロジェクト」が負担しています。交通費や宿泊費は先生たちの自己負担です。もちろん今回の取材費も自己負担です。

田中良直さんとクレス聖美先生
田中良直さん(左)とクレス聖美先生

猫島で試される獣医の技量

クレス先生が島猫にする治療は主に以下の四つです。

  1. 細菌感染が疑われる猫への抗生物質の注射
  2. 同じく抗生物質の、錠剤での経口投与
  3. ノミ・ダニなどの駆虫薬の投与(被毛への滴下)
  4. ワクチン接種



この他に目薬を入れたり、外傷のある猫を手術したり、その場その場で必要な治療を行っていきます。

猫に目薬を入れるクレス先生と田中さん

猫も驚く高速注射

島猫の病気で多いのは、鼻をズビズビ鳴らす猫風邪や下痢です。風邪はパッと見で分かりますが、下痢はトイレをしているところを見ないと分かりません。それでも滞在中に何匹か下痢中の猫を目にする機会がありました。クレス先生は、そういった子たちに抗生物質の注射を打ってあげます。



抗生物質の注射を準備するクレス先生

ただ、問題は「どうやって打つか」です。中には警戒心のカケラも見せずに触らせてくれる子もいますが、基本はエサを食べさせながらそっと近付いて注射を打ちます。

そうすると打たれたことに気付かない子もいますし、ビックリして逃げていく子もいます。昔打たれたことをしっかり覚えていて、クレス先生を見ると逃げたり、猫パンチを繰り出す子もいます。これには先生も「損な役回りだわ」と苦笑いです。

そんな状況なのでいかに早く打つかが重要なのですが、そこは百戦錬磨のクレス先生。田中さんのサポートもあって、一瞬の早業で打ち終えてしまいます。速すぎて「えっ、もう打ったんですか!?」と写真を撮るのが大変でした。



ちなみに、動物病院で一般的に使用される抗生物質の効果が持続するのは2、3日ですが、クレス先生が使用していたものは効果が同じで持続期間が14日ほど。その分、薬代が割高になってしまうのですが、先生が島に滞在できるのは数日(日帰りのときもあるそうです)ですので、この注射を打てば細菌感染に由来する病気に対抗できるのです。

薬をエサに隠して猫だまし

警戒心が強く注射を打つのが難しい子には、錠剤の抗生物質をエサに隠して飲ませてあげます。

錠剤の抗生物質はエサに混ぜて飲ませます

田代島の猫たちは日常的に島民からエサをもらっているため、痩せているような子はほとんど見ません。ただ、魚をもらったり、白米の残りをもらったり、カリカリをもらったりで栄養状態が良いかは別の話。缶詰に入った高エネルギーの療法食をあげるのもクレス先生たちの仕事です。

缶詰はかなり美味しいのか、警戒心の強い子でも食欲に負けて近くで食べてくれます。そこに抗生物質の錠剤を入れて飲ませることで、注射が難しい子もケアすることができるのです。

ちなみに、田代島では持ってきたエサを港周辺にあるボックスに入れ、島民にエサやりをしてもらうのがルールになっています。観光客が思い思いにあげてしまうと猫がお腹を壊したり、汚れたりして島の方に迷惑がかかってしまうからです。観光で訪れる際は必ずルールを守るようにしてください。

エサやりの自粛を呼びかける看板とエサを入れるボックス


島で暮らす猫を治療することの意味

診療に同行していて、ふと疑問がわいてきました。猫が外で暮らす以上は、ケガをしたり病気になったりするのは当たり前のこと。家猫(ペットの猫)と違って日常的に起こることですから、2カ月に1回の診療では不十分ですし、個体数を減らす活動をしているわけでもないので、この活動には終わりがありません。

先生たちは何を目的として田代島で猫の診療をしているのでしょうか。この質問に、田中さんは「島猫としての寿命の中で、風邪やケガで動けない時間を減らしてあげたい。生きている間の猫のQOL(quality of life:生活の質)を上げるためです」と答え、クレス先生も「延命行為として治療しているわけではありません」と答えます。

例えば田代島ではよく耳の先端が化膿したような白猫をよく見ます。それは皮膚ガン(扁平上皮ガン)で、屋外で紫外線を受けやすい猫に多い病気です。家猫であればガン化している部分を切除する手術が行われるのですが、先生たちは田代島でその手術を行いません。それは、屋外の環境で自然に発生してしまう病気だからなのです(ちなみに進行が遅いガンなので、すぐに死ぬことはないそうです)。



耳の先端がガン化している白猫
耳の先端がガン化している白猫

猫のQOLを上げるということ

田代島にはいくつか猫スポットがあるのですが、最大の猫スポットは、「ポンプ小屋」と呼ばれている消防設備の周辺です。猫たちがたくさんいる場所なので、クレス先生は何度も立ち寄っていたのですが、その中に1匹、お腹がパンパンに膨らんだ子がいました。心配している島の人が何人もいて、何日も膨れた状態が続いているとのことでした。



エサをあげると少し食べたり、自力で移動したりはしていましたが、動くのはつらそうですぐ横になってしまいます。何かしらの病気でお腹に水が溜まっているようでした。先生たちは寄るたびに体調を確認し、車も通る場所で動けずにいるのは危険だということで、近くの家の小屋に運び、寝かせてあげることなりました。

小屋で横たわるお腹が膨れた猫

そこで、クレス先生はお腹が膨れた猫に注射を打ちました。中身はこれまで打っていた抗生物質ではありません。痛みを和らげるための麻酔です。「少し多めに打ったので、このまま眠りについてしまえばそれでいいし、もし明日の朝も起きていれば、そのときはもっと強い麻酔を打ちます。つまり、安楽死です。

この子はこれから腹水が内臓(肺や心臓)を圧迫し、呼吸困難に陥り、苦しみながら死んでいきます。その前に眠らせてあげるのが私たちの義務だと私は思っています」と話してくれました。

文化や宗教、それぞれの考え方によって「死」に対する考え方は異なります。ドイツの事情も知っているクレス先生は、日本はドイツ以上に「死」について慎重だと話します。筆者自身も、何が最善か頭では理解できていても、受け入れ難い何かがありました。

「お腹に水が溜まってるだけなんだから抜けば治るんじゃ」「さっきご飯食べてたし、自分で動ける体力はあったし」……そんな子どものようなことを考えながら、どうしても気になって夜中に様子を見に行ったのです。そこには、眠りにつき、動かなくなった猫の姿がありました。

島猫として生まれた猫たちにとっての幸せが何かは、私たちには分かり得ないし、人が勝手に決められるものでもありません。しかし家猫であろうと島猫であろうと、苦痛から解放される自由や猫らしく一生を過ごす自由は等しくあるはずです。そんなことを考えながら、先生たちの活動の意味が見えてきた気がしました。

深夜の仁斗田港にいた猫
深夜の仁斗田港にいた猫

生まれる命、死ぬ命

人が「命とは何か」を悶々と考えるのを待ってくれることもなく、猫たちの命はどんどん生まれてきます。特に暖かくなるこの時期は猫の出産シーズン。お腹に新しい命を抱えた猫たちの姿をたくさん見ました。

新しい命を抱えたお母さん猫
新しい命を抱えたお母さん猫

そっくりな親子猫
そっくりな親子猫

クレス先生と田中さんが猫の小屋をのぞく様子
クレス先生と田中さんがのぞく小屋の中には……?


不妊去勢手術はしないのか

犬猫の殺処分問題を知っている人ならば、蛇口を締める活動として不妊去勢手術の大切さはよくご存じだと思います。ここまで読んできっと、「なぜ田代島では猫たちに不妊去勢手術をしないのか」とやきもきしていた方も少なくないと思います。

この話をする前提として、まずは「田代島の猫」について改めて考えてみる必要があります。一言で猫と言っても、実はその生き方によっていくつかのグループに分けることができます(生物としての違いはありません)。

  1. 室内飼いされている家猫
  2. 特定の家に出入りしている半野良猫
  3. 人からエサをもらっている野良猫
  4. 人にまったく近づかないノネコ

4番目のノネコはいるのか定かではありませんが、人家のないところでなぜか1匹だけいるのを見たという目撃情報があります(実は筆者も以前、島を探検した際に見ました)。

クレス先生によると、1番目の家猫のほとんどと、2番目の半野良猫の一部は不妊去勢手術を受けているそうです。ただ、港の近くにいる3番目の野良猫たちは不妊去勢手術を受けていません。その理由として、昔から個体数が一定に保たれ、大きな変化がないことが挙げられます。


2種類の毛並みを持つ不思議な猫
2種類の毛並みを持つ不思議な猫

猫が連れ出されたり島外から連れて来られたりということは基本的にありません。島と本土の行き来はフェリーに限定されるため、見つかれば捕まります(猫を捨てることは犯罪です)。そして島猫の寿命は5年ほど。子猫が生まれても、生き残るのは5匹に1匹程度です。

「愛護動物である猫をそんな過酷な環境に置くべきではないから、不妊去勢手術を徹底して家猫だけが存在するようにすべき」と言うこともできますが、島には島の歴史や文化がありますので、話はそう単純ではありません。

また誤解の無いように説明しておくと、クレス先生に直接「なぜ不妊去勢手術をしないのか」と言うのはあまり意味がありません。なぜなら猫の診療は島の人たちと合意の上で行うのであって、先生が勝手に行うことはできないからです。

人と猫が共生する島

筆者が田代島を訪れるのは今回で3回目。猫島は他にもいくつも行きましたが、それぞれの島にそれぞれの事情があり、生活があり、猫と人の関係性で成り立った社会があります。カメラマンの田中さんも、クレス先生も、筆者も、前提として猫好きではありますが、ただ猫島の猫に惹かれているのではなく、猫島という社会に惹かれているのではないかと思います。

仁斗田港にいた子猫
港にいた子猫。無事に大きくなってくれることを願うばかり

以前、田代島で猫を眺めるおばあちゃんを見掛けて、「猫がお好きなんですか?」と声を掛けたところ、「猫は嫌いだよ」と即答されてびっくりしたことがありました。「でも、私が生まれたときからいるからね」とおばあちゃん。

猫島だからみんな猫が好きなわけではありません。好きな人も嫌いな人もいて、思いもそれぞれ。でも、人と猫が存在を認め合っているからこそ猫島として脈々と続く歴史があるのです。猫島には、「人と動物が共に生きる社会」のヒントがあるように思えてなりません。

ご飯をおねだりする猫とおばあちゃん
ご飯をおねだりする猫たちに、おばあちゃん「すまんな、今日はねーんだ」

ところで、ずっと猫の話ばかりしてきましたが、田代島の魅力は猫だけではありません。新鮮な海の幸は、筆舌に尽くし難いものがあります。田代島に訪れる機会がありましたら、ぜひ日帰りではなく宿に泊まることをオススメします。もしかしたら、田代島に惹かれる人たちの本当の理由に気付いてしまうかもしれません。

民宿「網元」さんの夕食
民宿「網元」さんの夕食。これ全部、獲れたてです

民宿「はま屋」さんの夕食で出てきた獲れたてウニ軍艦
民宿「はま屋」さんの夕食で出てきた獲れたてウニ軍艦。ここは天国かな?